旅立ち・江口の里

デジタル西行#1【旅立ち編・江口の里】

編集部には戻らぬ覚悟の旅立ちであった…   TEXT. 西田行男

 漂流の歌人、西行。(1118~1190)。花と愛に生きた西行の魅力は、出家してなお世を捨て得ず、悩み苦しみながらも明る<歩き続けたその人間的なところにある。西行の500回忌にあたる1689年に芭蕉が「おくのほそ道」に旅出ったのも西行をはじめとする古人追慕の意味があったのはいうまでもない。西行の動と芭蕉の静。芭蕉は枯れているが、西行はかまわず弱音を吐いたりする。だが、そのカッコわるいところが人間的である。

世の中を捨てて捨て得ぬ心地して 都離れぬわが身なりけり

 西行出家直後、25歳くらいのときの歌である。そして、世を捨て得なかった西行の人間らしさがもっとも表れているもののひとつに遊女・妙とのやりとりがある。

 現代の漂白の歌人ーデジタル西行(1950~)は、出家こそしていないが、世を捨て(たつもり)、名を捨て、古人西行法師の足跡をなぞりつつ、全国行脚に出るのである。一度も編集部に顔を見せることなく行きっぱなしなのである。そのための装備、カバンの中にはデジカメ、ノート型バソコン、通信モデム、デジタル携帯電話、充電器、キャッシュカード等が入っているのはいうまでもない。

世の中をいとふまでこそかたからめ 仮りの宿りを惜しむ君かな

 西行法師、50歳くらいのとき。天王寺へ行く途中、江口というところで雨にあい、遊女に泊めてくれとたのんで断られる。そのときに詠んだ歌。悔し紛れである。あなたに現世を捨てとはいわんけど、仮の宿やないか。借してくれてもええのじゃないか。ケチやなあ。遊女妙はこう返す。

家を出ずる人とし聞けばかりの宿 心とむなと思ふばかりぞ

坊さんやのに、現世の仮の宿に執着しなはんな。やりこめられているのである。

阪急電車京都線上新在駅からパスで15分、江口の君堂前で降りて5分歩くと、宝林寺という尼寺。そこに西行とやりとりをした遊女妙の墓がある。大阪市内(東淀川区)であるにもかかわらず、一人として歩いている人を見ない。緑に囲まれたこの一角を雨雲が覆いはじめた。と、お堂のカゲに人の姿。「遊女か」思わず声をかける。急いで歌を詠まねば。

君知るや一夜の宿を願いでし 西行法師の熱き思いを (デジ西)

どうやらそうじのおばさんのようだ。目を丸くしてこちらを見ている。「返歌はまだか」と、一歩近ついた瞬間、「ギャー」と一声叫んで逃げ出した。

デジタル西行、前途多難の旅立ちである。