デジタル西行2「出家の地・京都府西京区・勝持寺〜湯の花温泉編」

デジタル西行#2【出家の地・京都府西京区・勝持寺~湯の花温泉編】

好きだからこそ捨てるのだ……ゴクラク浄士は湯の中にあり、かな

 鳥羽院の北面の武士であった佐藤義清(のちの西行) が出家したとされる寺を訪ねる。阪急京都線東向日駅から北へ二里。西国街道を横切って、秋桜の咲く畑の中の道を行くと花の寺と呼ばれる勝持寺がある。ここには西草を結んだときに植えたとされる西行桜と、髪を下ろしたときに使った鏡石なるものが残されている。立て札には出家の原因は定かではないが、と記されている。たしかに誰も直接聞いたことがないからわからんのだが、ここはデジ西の独断で、それは「恋」である、としておく。それも道ならぬ恋。

知らざりき雲居のよそに見し月の

かげを袂に宿すべしとは

 雲居は宮廷、月は高貴の人。お相手は鳥羽天皇の奥方、待賢門院。西行よりも17歳も年上の人。ボン、キュッ、ポンで色白。魅力あふれる女人であった。見たんか!なのであるが、そんな感じ。

 義清出家時に使った鏡石を見て、どう磨いても顔が映るとは思えんがなあと首をかしげつつ…

小塩山色づく紅葉にかかる陽は

想い照らさん石の鏡に

〈DS〉

(注)小塩山は勝持寺のある場所

 どう考えても現代の恋愛は軽すぎる。ここに来る電車の中でも抱き合っている若い男女を見た。こんな力ップルはどちらも決まってブサイクなのである。新派の婦系図(おんなけいず)でも見て学んでほしいと思うのである。

 本堂横の瑠璃光殿には西行像があって、デジカメで撮ったところ住職さんがとんできた。監視カメラで見てはったわけやね。まあ、西行像は珍しくないから、いいのです。西行さんは人気者やったから行ってないはずのところにまで歌碑があったりする。オレ、キムタクよく知ってるでというのが、じつは木村個人タクシーだったりする、アレである。ちょっと違うか。

 出家したのちも2~3年は都の周辺に庵を結んで暮らしていた西行。隠者になりきれなかったのは御方への想いがあったからではないか。

捻てたれど隠れて住まぬ人になれば

なほ世にあるに似たるなりけり

 西山を越えて亀岡へ入る。彼岸が近つけばかならず咲く不思議な花、彼岸花。これぞまさしく彼岸へ渡ろうとする出家者にふさわしい花である。花の道を歩きながらふと頭をよぎった誰かの歌ー。

人に言えない仏があって

秋の彼岸の回り道

 泣きだしそうなシチュエーションである。国道372号線を歩いて湯の花温泉に迷い込む。鬼さんのかざりものが道ばたにいつばいあって、桜石・鬼伝説の地。腹は減れど、慢性手元不如意の小生、こんなとき西行ならどうしたのだろうと考える。歌を詠んで糧を得たのであろう。売るべき何ものもない身なれば、すかさず編集部に携帯で電話を入れ、経費の精算をお願いする。とりあえずはカードだ。入ってしまったのが料亭さくら。昼会席3150円(消費税込み)。松花堂になっていて生魅がうまい。半ばヤケクソで向かいの大観光旅館・渓山閣へ。一夜の宿を所望す。露天風呂は2つあり、ナイアガラとビーナス。前者は大きな滝が眺められ、後者はビーナスの像があって、わかりよいネーミング。男湯と女湯は日がわりで、泊まれば両方利用できる。今風の言葉で表現すればマンモスラッキーなデジ西。じつは、「俗」が好きなのだな。世俗、通俗、風俗……。出家とは対極に位置する言葉なれど、好きだからこそ捨てよう、とするのである。西行もそう。愛ゆえに別れるのである。そしてその修行こそが、出家であり、西方浄土への道なのである。

 なーんてことを湯につかりながら考え、その気持ちのよさに思わず「ゴクラク、ゴクラク」。修行もせずに極楽浄土へ行きかねないテジ西であった。